昭和44年8月24 夜御理解
                                入力者 大坪れい

 「我が信ずる神ばかりを尊びて、他の神を侮ることなかれ」と、金光様の御信心をさして頂いたら、こういう心構えにならなければならん。これはその宗旨宗派によって、その建て前が違う、他の神はもう、邪神だ悪神だと、または、偶像崇拝だというふうに、もう非常に他の神を、例えば侮ったり、軽蔑したり、また無きものしなければ、信心じゃないというような、建て前の教えもあるんですけれどもね、金光様の御信心はそうではない。

 自分の尊ぶ神だけを大事にして、他の神を侮ることなかれというのが、お道の信心の生き方なんですから、そういうような生き方が、生活の上にもやっぱり現れてこなければいけないと思うですね、生活の上にも、そういう例えば、教祖の神様へ対する、その見方と。またここんところを、え~自分がおかげと思わなければ、おかげと思わない、ね、例えばおかげを頂いておっても、それをおかげとも思わずに、疎かにするといったようなこともありますよね。それではいけません。

 もう、本当いうたら、あれもおかげ、これもおかげと分かるようになってこそ、一人前の信者と仰るのに、自分の思うようになった事だけがおかげであって、思いの反対にでもなると、まるきり神様が、力がなかったような思い方をすることは、大変な、いわば、おかげを侮っておるわけですから、おかげになりません。ね、同時にまた、おかげだけを尊びてと、ここに仰る。神ばかりで尊びてと仰ることは、おかげだけ、ね、そしてその信心の方を疎かにするということにも言えましょう。

 今日夕方、電話がかかってまいりましてね、先日から、もう奥さんが長い間、病気で、え~難渋しておられて、もう死ぬのを待つばかりだというような状態、それが、その病名が分からないというので、その手当てのしようがない。お導きを頂いて、こちらにお参りをしてくるようになって、おかげでその病名が分かった。それから、注射が効くようになり、薬が効くようになり、おかげでもう退院を待つばかりだというので、非常に喜んだ。
 
 確かにおかげだと思うた。それで、まぁある程度のことをして、お礼参りしたら、それっきり、ピシャッと( ? )ここ、月次祭の度に参ってきよったけど、2.3回参ってこない。大祭にも今度は参ってきてない。ね、もうお医者さんが、いうならば、病気の原因が分かったから、それに対するその( ? )できるから、注射が効くようになった、薬が効くようになったというて、御礼にでてきた。確かにそれは、きちっとしたお礼を、神様に対するお礼をさしてもろうて、お参りをしてきた。

 だから、ほんと言うたらもう、素人の考えじゃです、素人てゆうか、ね、もうその病気のあれが分かったんだから、( ? )の手立てがでけたんだから、もう退院を待つばかりだと言うておって、ならここにもう14.5日なりますでしょうか、ご無礼してしまって、したら今日電話がかかってきて、先ほど末永さんが、ん~また悪くなったと、今日は(?)だと、だからお願いして下さいちゆうて、電話がかかってきたて言うんですよ。これは、おかげばかり、いわばその、そういうところが大変私は、大事にしなきゃいけないと思うですよね。

 神様のおかげを頂いて、いうなら、その病気が分かった、手立ての方が分かった。なら、それだけでは、おかげが受けられんことが分かりますですね。やっぱ、それから先は、もう病気が、薬が効いた、注射が効いただけで、おかげを受けるもののように思うておる、そこが間違い、そこがいわば、信心の薄い者の浅はかなところ、また浅ましいところと思わなければならん。ね、本当に全開のおかげを頂くまで、同時に、その間に信心を分からして頂こうといったような(  ?  )ならんけど、おかげだけを尊んで、いわば、その信心だけ、信心を尊ばなかったわけですね、それは。

 また今日そのことを、改めてお願いさして頂いたんですけれども、ね、いかに注射が効きだした、薬が効きだしたというても、やっぱり、あの注射は効いた、薬が効いただけではいけませんからね。神様とは病名を調べ、分からせなさっただけがおかげのごと思うとるとです。ね、そうではないことが分かります。
 どうぞひとつ、今日の「我が信ずる神ばかりを尊びて、他の神を侮ることなかれ」、そういう生き方、あり方こそが、金光様の御信心、おかげを受けた、ね、だからそのおかげだけを尊びて、信心の方を疎かにするというようなことでは、あの、おかげにならん。 おかげを頂いたから、もうお礼参りをしたから済んだといったような思い方の中には、本当のおかげにはなっていかないことが分かります、ですね、どうぞ。